↑亀岡文殊の参道(山形県高畠町)
↓熊野大社の参道(山形県南陽市)

思うところあり、神頼みをしてきました。
しかも同日に、山形県南部で有名なスポットの2か所をはしごです。(笑)
亀岡文殊と熊野大社をざっくり説明
知恵の神様である文殊菩薩を祭るお寺である亀岡文殊(山形県高畠町)「大聖寺」。
日本三大文殊の1つとされています。
それもあってか、受験シーズンになると東北地方全域から受験生やその家族が合格祈願に大勢やってきます。
他の2つは天橋立(京都府)「智恩寺」、大和桜井(奈良県)「安倍文殊院」だそうです。
これらは近畿地方ですが、亀岡文殊だけ、なぜか東北地方にあります。
次に熊野大社について。
熊野大社は東北の伊勢とも呼ばれ、上杉家と伊達家の代々の武将たちも信仰したそうです。
人事が及ばないところは神頼み
私の座右の銘としているものに「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。
これは私が会計士受験時代から現在も座右の銘としているものです。
事の成否(合格するかどうか)は、人知を超えたところにあるから、自分は全力で努力をして(試験勉強して)、後の結果(試験の合否)は天命に任せるという状態です。
私も受験生の期間が長かったので、受験生の心理はよく分かります。
合格という結果を絶対出さなければならない! と強く自分を追い込んでしまうと、体に余計な力みや緊張が生じてしまい、本番で実力が発揮できません。
そのような無駄な力みや緊張をしないため、結果を求めるのではなく、実力を本番で出し切れればそれでOKという風にハードルを下げて考えます。
そもそも合否という結果は受験生が決められるものではなく、試験運営側が勝手に決めることです。
そのため受験生は自分に決定権がないこと、どうしようもないことを追い求めるのは少々ハードルが高いんじゃないでしょうか?
実力さえ出し切れば自分は悔いはない、天命(運命)があれば合格するし、なければ不合格になるだけ、というニュートラルな精神状態が受験生にとって望ましいというのが持論です。
不合格に運の要素はある
実際の試験でも、運の要素は合否に影響すると思います。
模擬試験で解いた論点が、そのまま本番で出題された等は、まさにその例です。
私も同じような経験がありますが、予備校の第1予想だったため、その予備校の受験生はみんな「やった! 予備校の予想が当たった!」と思ったでしょう。
みんな知っている問題なので相対的にアドバンテージはありませんでしたが。。。
ただし、私の経験からすると、実力がある人でも運がなくて不合格になることはあっても、実力がない人が運だけで合格することはありえません。
やはり日ごろの努力に裏付けられた確かな実力がある人だけが合格するんだなと納得した記憶があります。
このことは、独立開業した後のビジネスでも同じことが言えると思います。
以上です。また明日!
おまけ
【編集後記】
心機一転の区切りとして、この両神社に行ってみようと考えました。
亀岡文殊は試験でも合格祈願をした神社です。
人間がやれることをやりつくしたら、最後はやはり神頼みですね。
【ムスコログ】
定期健診で幼稚園をお休みしました。
せっかく平日の休みで天気も良いので、どこかに出かけよう!
ということで、亀岡文殊と熊野大社に参拝しました。
夏日だったため、出店でメロン味かき氷を食べてご満悦でした。!(^^)!